1.『クラウゼヴィッツ「戦争論」を読む』--第5章 戦争を計画する
第5章 戦争を計画する:戦略の主要な機能と重要性
第1編とならんで重要な編
『戦争論』第8編とは
『戦争論』第8編は第1編の重要な命題がふたたびとりあげられる。また、政治と軍事のあり方を具体的に示しているという点で重要な編である。
○『戦争論』のまとめの編
『戦争論』第8編の見出しは「戦争計画」である。『戦争論』の第3編では、戦略が戦争の計画を立案する場合の準拠になると述べられている。また、戦略の考察にとって、戦争の目的や目標を明らかすることが不可欠であるが、これらの命題は第1編ですでにとりあげられている。
第8編では、ふたたびこれらの主要な命題が具体的・総合的に考察される。ここでは、戦争の目的と目標、絶対的戦争と現実の戦争、政治と戦争の関係、敵の重心を打撃することの重要性などの命題が示される。とくに第8編では、戦争の政治的・軍事的指導のあり方が示されているので重要である。
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○戦争の構成
まずは、戦争計画について見る前に、戦争の全体の構成について見てみよう。戦争では、一つの戦闘を最小の単位とし、いくつかの戦闘が組み合されて一つの作戦が構成される。さらに、いくつかの作戦を含むある一定期間の戦役(一つ又は複数)によって、戦争全体が構成される。
具体的な例をあげると、第二次世界大戦の日本の戦争計画においては、オランダ領インドシナ(現在のインドネシア)の石油資源地帯を領有するために、太平洋にある米英の根拠地を攻撃・無力化(前段)し、反撃から守りとおすこと(後段)を目標に戦争全体が構成されていた。まず、真珠湾を攻撃して米太平洋艦隊の主力を撃破する作戦が実行された。次に、米英の植民地であるフィリピンと香港の攻略作戦、シンガポール攻略のためのマレー半島上陸作戦が同時に実行され、シンガポールを占領した後に、ジャワ島などのオランダ領インドシナが占領された。これらの前段の作戦は、多数の戦闘を含み、全体として約半年間の戦役を構成しているのである。
戦争の設計図
戦争計画とは何か
戦争計画によってあらゆる軍事行動は総合され、一つの最終目的をもつ作戦にまとめられる。
○戦争計画は戦争の設計図
前項では、戦争は作戦や戦闘という多数の軍事行動によって構成されていることを述べた。そして、これら多数の軍事行動が総合され、一つの最終目的を持つ戦争にまとめられているものが戦争計画であるとクラウゼヴィッツは述べている。戦争計画によって、個別の戦闘や作戦の目標は立案・調整されるのである。いいかえれば、戦争計画とは戦争の設計図であり、あらゆるレベルの戦争の構成要素(戦闘や作戦など)を戦争の目的と結び付ける役割を果たしている。
前項にあげた第二次世界大戦時の日本の戦争計画では、日本独自の石油資源を手に入れることが戦争の目的であった。そして、太平洋の米英の軍事力を撃破してオランダ領インドシナを占領することが初期の各作戦(南方作戦/戦役)の目標であった。これらの作戦、すなわち戦争計画は予想以上にうまく運んだが、さらに手を広げてミッドウェー島の攻略作戦で手痛い反撃を受けたのである。
○戦争の目的と目標
戦争を計画する場合、戦争の目的と目標を十分に検討することは非常に重要である。クラウゼヴィッツは戦争の目的と目標を明確にしないまま戦争を開始すべきではないと警告している。なぜなら、戦争の目的と目標が戦争を行う場合の基本的な構想であり、それによってすべての方針が律せられるからである。また、クラウゼヴィッツは、戦争の目的と目標によって戦争に必要な資源や戦力の大きさが決定され、戦闘や作戦などの細部の行動が定められると述べている。
「絶対的戦争」と「現実の戦争」
二種類の戦争と理論への適用
ナポレオンの戦争の変革は「絶対的戦争」の概念を生み出すきっかけとなった。この概念は戦争の性質や規模を判断するための指標となる。
○「絶対的戦争」の概念が生まれたきっかけ
この項では、第8編でふたたびとりあげられている「絶対的戦争」と「現実の戦争」の二種類の戦争という重要な命題について見てみよう。
ナポレオンの登場によって、戦争は劇的に変化した。クラウゼヴィッツは、「ナポレオンのもとでは、戦争は敵が撃滅されるまで間断なく推し進められ、また、敵の反撃も同様の激しさで行われた」と述べている。彼は、以前にはなかった大規模な軍隊でもって、敵を殲滅するまで戦争を遂行したのである。このナポレオンによる戦争の変革は、「絶対的戦争」の概念を生み出すきっかけになった。その一方で、クラウゼヴィッツは、ナポレオン以前の戦争のほとんどが小競りあいの「現実の戦争」に終始していたことを認めている。
○二種類の戦争を戦争理論に適用
クラウゼヴィッツはナポレオンによる戦争の変革に大きな衝撃を受けていたので、『戦争論』の執筆にあたって、最初は「絶対的戦争」を重視していた。しかし、執筆してゆくうちに「現実の戦争」の存在に気が付き、平等に扱うことにした。そして、クラウゼヴィッツは戦争理論において、「絶対的戦争」は戦争本来が持っている原理を抽出した純粋な概念として規定し、それに対する「現実の戦争」では、戦場でおこる偶発的事象、勇気や臆病さなどの人間の精神性、判断のあいまいさなどを正当に認めたのである。
わかりやすく二種類の戦争を上下であらわすと、クラウゼヴィッツは「絶対的戦争」を戦争本来の姿として最上部に位置付け、「現実の戦争」である制限戦争※のすべてはそれ以下のどこかに位置付けられるとした。「絶対的戦争」の概念は、現実におこるあらゆる戦争の性質や規模を判断し、これに正しく対応するための指標として使用されるのである。
※制限戦争とは、敵の領土の一部占領など限定された目的・目標のために戦う戦争のことである。
異なる激しさと規模
二種類の戦争の相違を把握する
絶対的戦争と現実の戦争では、激しさや規模が異なる。このため、戦争を計画する場合には、戦争の性質や規模を知る必要がある。
○二種類の戦争における勝利の違い
「絶対的戦争」は、相手の完全な打倒をめざす極限的な戦争を意味している。この場合、クラウゼヴィッツは最終的な決着だけが重要であり、途中の状態がいかに悪くても最後に勝利がえられればよいという。絶対的戦争では、個別の戦闘は最終的に相手を打倒できた場合にだけ価値がある。
一方、「現実の戦争」では、ゲームでの対戦のようになるべく多くの「得点」をあげれば勝利したことになる。たとえば、いくつかの重要な戦闘で敵に勝利し、敵の領土の一部をなるべく少ない損害で獲得し、敵が奪回することをあきらめれば、戦争に勝利して終結する。歴史上、多くの戦争はみずからの生存をかけてではなく、このような「得点」を求めて戦われている。
○戦争の性質を把握することが重要
クラウゼヴィッツは、上にあげたような戦争の性質の違いから、戦争を計画する場合には、いかなる戦争であってもまず戦争の性質と規模を把握することが必要になると述べている。つまり、戦争がどのような性質、すなわち激しさを持っており、どの程度の規模になるかをしっかりと事前に把握しておくことが重要なのである。とくに絶対的戦争の場合は、中途半端な決着ではなく国家の存亡がかけられている。したがって、十分な決意と準備がなければ、戦争に敗北し、滅亡することは明らかである。
プロイセンとオーストリアがナポレオンに敵対したとき、戦争が絶対的な性格のものに変化していることは理解されていなかった。そして、プロイセンとオーストリアは、戦争の神※ナポレオンに対して従来の制限戦争のイメージで戦争を挑み、大敗を喫したのである。
※クラウゼヴィッツは、圧倒的な強さを誇るナポレオンをこのように評した
敵の弱点を突く
重心を攻撃する
重心とは敵の力の中心であり、弱点でもある。この重心を攻撃することによって敵の撃破、すなわち戦争の目標が達成される。
○重心は敵の弱点
この項では、『戦争論』第八編ではじめて登場する「重心」の概念について見てみよう。
重心の概念は、第8編第4章「戦争の目標に関するさらに厳密な定義――敵の撃破」の中でとりあげられている。重心とは、敵の力の中心であるとクラウゼヴィッツは述べている。いいかえれば、敵の弱点である。クラウゼヴィッツは、あらゆる力をもって重心を攻撃することによって戦争の目標、すなわち敵を撃破することができると述べている。
1991年の湾岸戦争で、多国籍軍はイラク本土にまで侵攻しイラク軍は崩壊寸前だったが、クウェートを解放しただけでフセイン政権の打倒もイラク軍の撃滅も達成されず不十分な結果に終わった。多国籍軍はイラク軍を重心と判断したが、本当の重心はフセイン大統領個人だったという議論がある。
○重心の具体例
クラウゼヴィッツは、それぞれの場合に重心は異なるとして、次のような例をあげている。?アレクサンダー大王、グスタフ・アドルフ、カール12世やフリードリヒ大王※の場合、重心はその軍隊にあった。?国内政治が不安定な国家の場合は、通常その重心は首都にある。?大国との同盟に頼る小国の場合は、重心は大国の方の軍隊にある。力関係が同等の同盟関係においては、重心は利害の一致する点にある。?国民の武装蜂起においては、重心はその指導者個人と世論にある。
クラウゼヴィッツによると、攻撃はこれらの重心に対して指向されなければならないという。第一次世界大戦で、ロシアは常にドイツとオーストリアの両方を攻撃していたが、より強いドイツに戦力を集中すべきであった。
※この4人の国王はいずれも軍人として数々の戦争で輝かしい勝利をあげた。
政治と戦争の関係?
戦争は政治の道具
クラウゼヴィッツは、どのような戦争であっても戦争は政治的交渉の一手段であり、政治に従属していることを明確に示している。
○戦争は政治的交渉の一部
ここで、『戦争論』第8編が「戦争計画」であることを思い出しておこう。戦争を計画するためには、政治と戦争の関係、政治が戦争に及ぼす影響などが明らかにされなければならない。したがって、『戦争論』の中心的な命題である政治と戦争の関係が、ここでは戦争を計画するという立場からもう一度考察されているのである。
絶対的戦争と現実の戦争は、これまで見たように弁証法的な対立関係にある。しかし、弁証法の論理では、それぞれは同じ事象の違った側面をあらわしているにすぎない。クラウゼヴィッツは絶対的戦争と現実の戦争に共通する本質は、いずれの戦争も政治的交渉の一部にすぎず、政治から独立した存在ではないことだと述べている。このことから、彼は、戦争の計画においてもっとも重要な指針は政治によって示されるべきだと主張した。
○政治が戦争をコントロールする
しかし、一般には戦争によって政治的交渉が中断され、戦争(軍事)が政治よりも優先される※と考えられている。クラウゼヴィッツは、この考えは誤りであり、「戦争は他の手段を交えた政治的交渉」であると述べている。戦争は外交交渉の代わりに「他の手段」、つまり武力が行使されているのであり、それは政治的交渉の一つの手段にすぎないのである。実際にも、宣戦布告によって対立する国民や政府間の政治的関係が完全に断絶するわけではないので、政治的交渉は戦争の間も続いている。したがって、クラウゼヴィッツが「戦争は政治の道具である」と見なしているように、政治は、開戦から講和にいたるまで一貫して戦争をコントロールすべきなのである。
※このような考え方は、クラウゼヴィッツ以前から現代に至るまで残っている。
政治と戦争の関係?
政治と戦争計画の関係
戦争を計画する場合や戦争時の重大な判断は、政治によって決定されなければならない。
○戦争を判断する主体
『戦争論』の第8編には、政治と戦争の関係についていくつも重要な指摘が登場する。しかし、これらの指摘にも関わらず、歴史上何度も過ちが繰り返されてきた。この項では、引き続き政治と戦争の関係について見ていこう。
クラウゼヴィッツは、戦争計画や戦争時の重大事項は軍人が判断するという考え方は非常に危険であると主張している。しかし、第一次世界大戦時のドイツにおいては、政治家の判断によってではなく、軍人の作成した戦争計画によって戦争が開始され、その後軍人の要求するままに人的・物的な資源が投入されて戦争の規模が拡大されてしまった。軍人が戦争での勝利をあきらめたあと、ようやく政治家が表舞台に出てきたのである。
○あるべき政軍関係の姿
第一次世界大戦は、歴史上はじめての国家総力戦であった。戦争の計画と実行には、軍事ばかりでなく、外交、経済、財政、金融、産業、科学技術などの国家のすべての機能が必要になり、これらを総合・調整するのは政治以外にはない。クラウゼヴィッツがいうように、戦争の推移を正しく判断し、その後の方針を決定することが政治のなすべきことであり、政治だけがそれをなし得るのである。しかし、このような彼の警告は、現在では当然のように思われても、当時としてはあまりに予言者的で理解が得られなかった。
一方、政治が戦争に達成不可能なことを要求することがある。この場合だけは、政治の決定が戦争に有害な影響を及ぼすことがあるとクラウゼヴィッツは述べている。ベトナム戦争では、政治が軍事に対して過度の干渉をしたことが米国の敗北の要因とされている。政治が作戦の細部まで干渉し、軍人の判断を拘束したり、軍事的に不合理なことが要求されたからである。
クラウゼヴィッツの提言
政治が戦争を主導する方法
クラウゼヴィッツは政治が戦争を主導する方法について具体的に提言している。しかし、この提言は『戦争論』第二版以降で改ざんされている。
○内閣が戦争を主導する
前項では、戦争における政治と軍事のあるべき関係について見てきた。クラウゼヴィッツは、その政治と軍事のバランスを保つためにはどうすればよいかということについて提言を行っている。彼は、戦争を政治の意図する方向と完全に一致させるために、軍人である最高司令官を内閣の一員に加えて、内閣が最高司令官のもっとも重要な決定に参加できるようにすることを提案している。つまり、最高司令官が内閣の一員であれば、常に戦争を政治的目的に合致させて導いていくことができる。また、内閣が戦争に関する重要な決定に参加できれば、政治を戦争に反映しやすくなるのである。
クラウゼヴィッツは、このような提言をすることで、戦争が政治の一部として機能すべきことを強調している。
○提言の改ざん
しかし、このようなクラウゼヴィッツの意図にも関わらず、『戦争論』の第2版以降には多数の改ざんが見られる。そのもっとも重大なものは、前述の提言が「最高司令官を内閣の一員に加え、もっとも重大な時期には最高司令官を内閣の審議と決定に参加させることが必要である」と書きかえられていることである。これは、クラウゼヴィッツの書いている意味とはまったく反対である。彼の主張は、最高司令官を内閣の一員に加えることによって政府が軍人の決定を左右することができるということであって、軍人を政治的な決定に参加させるべきであるということではない。
第2版の編集にたずさわったのは、マリー婦人の弟のフォン・ブリュール伯爵である。彼は軍人であり、初版の出版のときにも手伝っている。改ざんが彼個人よるものなのか、参謀本部の影響によるものなのかは不明である。
完
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