1.『クラウゼヴィッツ「戦争論」を読む』--第3章 戦略とはどのようなものか


第3章 戦略とはどのようなものか

 現在、「戦略」という言葉は、軍事以外のたとえば経営などの分野でもしばしば登場する。しかし、「戦略とは何か」という疑問には、なかなか適切な解答は見出せない。ここでは、クラウゼヴィッツの戦略論から「戦略とは何か」を考えてみよう。

○ 戦略とは何か

○ 戦略の構成要素

○ 勝利のための戦略的要素

『戦争論』の第3編

戦略とは何か

クラウゼヴィッツの戦略論の特徴は精神的要素を重要視したことである。戦略とは政治も含んだ幅広いものであり、あらゆる段階の指針となる。

○クラウゼヴィッツの戦略論の特色

 この第三章では、『戦争論』の第3編「戦略一般」をとりあげる。戦略については序章でも少し触れ、また第2章でも戦略と戦術の区分やそれぞれの定義が明らかにされている。

 『戦争論』の記述体系からすれば、戦略論は、戦争の本質論や戦術論とならぶ重要な位置付けにある。したがって、とくに第3編で戦略を一般的に取り上げ、さらに第8編「戦争計画」でふたたび戦略論を展開している。

 クラウゼヴィッツの戦略論は政治と軍事の関係までを含めた幅広いものであり、とくに精神的な力を戦略論の中心においたことに特色がある。彼はそれまでの戦略論が精神的な要素を除外して、戦力の比較や計算などにもとづいた物質的・数学的(計算的)な側面に限定していると批判した。この章では、クラウゼヴィッツの戦略論から戦略とはどういうものかを見ていこう。


○戦略とはどのようなものか

 戦略とは、簡単にいうと、戦争における勝利(政治的目的の達成)のための方法論である。戦略は戦争における個々の軍事行動(作戦や戦役)に戦争の目的に適合した具体的な目標を与えるとクラウゼヴィッツは述べている。そして、戦略とは、この具体的な目標を達成できるように個々の戦闘を配列することだという。いいかえれば、戦略によっていつ、どこで、どれだけの戦力で戦闘を行うかが決定される。したがって、戦略は、戦争全体と戦争における個々の作戦を計画するための準拠になる考え方(指針)なのである。

 戦争や作戦は長期間にわたるので、状況の変化に応じて計画の軌道修正や細部の決定が行われる。クラウゼヴィッツは、この場合にも戦略が計画の軌道修正や細部の決定への指針を提供すると述べている。

戦略の五要素

戦略で考察の対象となる軍事力は五つの要素に分類されるが、その中でも精神的要素はとくに重要である。


○分類とその内容

 クラウゼヴィッツは戦略が考察の対象とする軍事力は、5要素に分類できると述べている。

1.精神的要素:精神的なものによってもたらさせるものすべて

2.物理的要素:戦力の量、編成、兵器の比率など

3.数学的要素:作戦を行う方向など軍事行動の計算

4.地理的要素:制高点※1、山地、河川、森林、道路のような地形の影響

5.統計的要素:給養ための手段、すなわち兵站(ロジスティックス)※2

 軍事力の構成要素をこのように分類することは、精神的要素を別にして当時でも現在でも妥当なものといえる。しかし、普通は、戦力の量など物理的要素がもっとも重要とみなされているが、クラウゼヴィッツは精神的要素をもっとも重要なものとして位置付けた点が他の理論とは異なっている。


○精神的な力の性質

 精神的な力は戦争のすべての要素と密接な関連性を持っているとクラウゼヴィッツは述べている。たとえば、あらゆる困難に打ちかって全戦力を指揮するためには強固な意志が必要であるという。この意志こそが精神的な力なのである。しかし、精神的な力は机上の学問として修得することはできない。クラウゼヴィッツがいうように、精神的な力は「数字でも等級でもあらわすことはできないので、目で見るか感じるほかはない」のである。

 また、精神的な要素は他の要素と完全に融合しているので、他の要素をそれぞれ個別にとり出すことは無意味であるとしている。クラウゼヴィッツは「物理的な現象は槍の木製の柄にすぎないのに対して、精神的な現象こそ真の金属の本来の武器に相当する」と述べ、精神的な要素の重要性を強調した。

※1制高点:良好な視界を与え、火力をもって周辺の地域を支配できる地点

※2物資の消費量や補給すべき量などはあらかじめ統計的に把握できるので、このように区分したもの

戦略の構成要素(2)

三つの精神的な力

クラウゼヴィッツは主要な精神的な力として将軍の才能、軍の武徳、軍隊における国民精神の三つの力をあげている。


○三つの主要な精神的力

 前項では、戦略の考察の対象となる軍事力に関して五つの要素をあげ、その中でも精神的要素がもっとも重要であると述べた。さらに、クラウゼヴィッツはその精神的要素における三つの主要な精神的な力として将軍の才能、軍の武徳、軍隊における国民精神をあげている。

?将軍の才能:将軍の才能の重要性と必要とされる能力については「軍事的天才」などで述べられているとおりである。将軍は強固な意志、聡明な知性、実行力、機転などが必要不可欠であり、また、戦争に関する知識と能力を十分に身につけていなければならないのである。

?軍の武徳:軍の武徳とは、軍隊における服従・秩序・規則など高度な要求にしたがう統制のとれた高い士気を指す。また、個人レベルでは、戦争という特殊な事業に専心して、必要な能力を身につけ、私心をすてて任務に全力をつくす誇り高い軍人の精神を指す。軍の武徳は単なる勇敢さや戦争に対する熱狂とは大きく異なっているとクラウゼヴィッツは述べている。

?軍隊における国民精神:フランス革命を経て国民軍が形成されるようになり、戦略の要素として国民と軍隊の関係が重要になった。国民全体の精神が軍隊そのものに反映されるようになったのである。軍隊における国民精神とは、軍隊にいる一人一人が独立した国家の国民であることを自覚し、祖国のために戦おうとする精神を持ちあわせていることである。

 このようにクラウゼヴィッツは三つの主要な精神的な力をあげ、戦略の考察の対象となる軍事力の中で精神的な要素がもっとも重要であることを強調したのである。

勝利のための戦略的要素(1)

戦力の優越

戦力の優越は勝利のための原則だが、相手より絶対的に優越であることは困難であり、将軍は相対的な優越を獲得すべきである。


○戦力の優越

 この項から、クラウゼヴィッツが言及しているさまざまな戦略上の原則について見ていこう。ここでいくつかの原則が示されるが、これらのすべてが時間的・空間的に相対的な戦力の優越を獲得する方法である。

 クラウゼヴィッツは「戦力の優越」は勝利のためのもっとも基本的な原則であると述べている。戦力の優越とは、自軍の兵数が敵を上回っていることである。この原則について、彼は、戦闘がおこったときの両軍の状態や態勢などの条件、さらに両軍の能力が同等だと仮定すれば、兵士の数だけが区別できる違いとなり、この兵士の数が勝利を決定することになるという。

 そこで、絶対的に優越であれば、すなわち戦力が全体として優越し、いつでも、どこでもこの優越を保持できるのであれば、勝利を得ることは確実である。この場合、戦略が機能する余地はほとんどない。しかし、このようなことは戦争においては期待できないとクラウゼヴィッツはいう。


○相対的な優越の獲得

 というのは、圧倒的な戦力の差があれば、そもそも戦争になる前に一方が敗北を認めてしまうだろうからである。また、戦争が行われる時間や空間は非常に大きいので、いくらか相手より優越だったとしても、常に絶対的な優勢を維持できるとは限らないのである。

 さらに、本来将軍が使用できる戦力(兵数)を決定するのは政府である。つまり、将軍は政府から与えられたこの戦力を受け入れるしかない。したがって、戦力が絶対的な優越に達しない場合でも、将軍は持てる戦力を効果的に使用して決戦場における相対的な優越を獲得しなければならないとクラウゼヴィッツは述べている。

勝利のための戦略的要素(2)

奇襲と詭計

相対的な優勢を獲得するためには奇襲が必要であり、成功すれば相手に与えるダメージも大きい。一方、詭計は戦略においてその必要性は低い。


○敵の意表をつく奇襲

 奇襲とは敵の意表をついて対応のいとまを与えないことをいう。クラウゼヴィッツは奇襲について次のように述べている。「奇襲は多かれ少なかれあらゆる行動の根底にある。というのも、これがなければ本来決定的な地点における戦力の相対的な優越を獲得することが不可能だからである」。つまり、戦力の優越を獲得するためには多少なりとも奇襲が必要となるのである。

 また、奇襲には精神的効果もあるとしている。奇襲が成功した場合は、敵に混乱や士気の低下を与えるのである。そして、このような奇襲を成功させる要素は秘密の保持と迅速さが必要だという。しかし、単に奇襲しただけでは勝利を獲得できるとは限らず、また奇襲は適切に行わないとかえって大きな損害をこうむる場合があると指摘している。


○相手をあざむく詭計

 詭計とは、真の行動や目的を秘匿し、陽動や欺瞞※によって相手をあざむくはかりごとのことをいう。クラウゼヴィッツは詭計と戦略の関係について、戦略という言葉がギリシャ語の詭計に由来していることにふれ、軍事行動には多かれ少なかれ相手をあざむく詭計の要素があるため、戦略の本質にも詭計の一面があることを認めている。

 しかし、「陽動が戦略において意図した効果を挙げることはほとんどない。また、かなりの戦力を長期にわたって単なる欺瞞に使用することは、予想できない事態に際してこれを決定的な地点に投入できないという危険をともなう」と述べているように、クラウゼヴィッツは戦略において詭計を用いるのは大きなリスク※があるため、その必要性には否定的である。

※陽動は真の行動を隠すため相手の注意をそらすことであり、欺瞞は相手の目をあざむくことである。

※戦術とは異なり、戦略における空間と時間の広がりの中では失敗するととり返しがつかない。

勝利のための戦略的要素(3)

空間的・時間的戦力の集中

戦力を決定的な地点に集中させたり、保有している戦力を同時に使用したりすることは戦略の原則である。


○空間における戦力集中

 決戦場での優勢の獲得は、勝利の獲得に不可欠の条件といえる。最良の戦略は常に優勢な戦力を保有することであり、それが不可能な場合でも決戦場では優勢を獲得するべきだとクラウゼヴィッツはいう。そして、その決戦場では「保有する戦力を集中させること以上に重要で単純な戦略上の原則はない」と、決戦場における戦力の集中を強調している。

 しかし、戦力を分散することは何度となく行われてきた。たとえば、2?3方向から軍団を前進させて予定した戦場で合流させる会戦の方式がとられることがある(分進合撃)。この場合、あざやかに敵を包囲して勝利できるかもしれないが、ばらばらに前進する途中で敵の攻撃を受けて各軍団が撃破される危険もある。クラウゼヴィッツはこのことに対して強く警告を発しているのである。


○時間における戦力の集中

 また、戦力の優勢を獲得するためには保有しているすべての戦力を同時に使用することであるという。クラウゼヴィッツは「このような戦力の使用は、すべてが一回の行動と決定的な瞬間に集中されればされるほど、より完全なものとなる」と述べ、一度きりの決戦に近いほどより効果的であるとした。

 一方、時間における戦力の集中で最悪といえるものは、必要数に満たない戦力を次々に投入して、そのつど撃破される例である。つまり、「戦力の逐次投入」は戦略においてもっとも戒めるべきことである。この失敗は歴史上何度も繰り返されてきた。太平洋戦争で戦局の転換点となったガダルカナルの戦闘では、日本軍は3回にわたって戦力を逐次投入したが、すべて撃破された。

勝利のための戦略的要素(4)

戦略的予備軍

予備軍は戦略・戦術の両方で必要である。しかし、決戦においては予備軍という手段は放棄され、すべての戦力が集中されなければならない。

このページの先頭に戻る

○戦術的予備軍と戦略的予備軍

 一般的に、手持ちの戦力に融通性や余裕がなければ勝利することは難しくなる。このため予備軍の存在が必要となってくる。クラウゼヴィッツは戦術的予備軍と戦略的予備軍を備えておく必要があると考え、それぞれの予備軍が対応する2つの目的をあげている。

 第1の目的は戦闘へのあらたな戦力の投入である。この場合は、ある1つの戦闘の継続を意図しているため戦略とは無関係であり、戦術的予備軍とよばれる予備軍が対応する。第2の目的は予測できない事態への対応である。この場合は、ある1つの戦闘においても1つの戦線(多数の戦闘が行われている区域)においてもありえるため、前者は戦術的予備軍、後者は戦略的予備軍とよばれる予備軍が対応するのである。


○戦略的予備軍の矛盾

 このように予備軍は重要な役割を担っているといえる。しかし、これら予備軍の必要性を認めながらも、戦略的予備軍の存在は戦力の集中という原則に反しているとクラウゼヴィッツは述べている。

 とくに、彼が「決戦のあとで使用が予定されているいかなる予備軍は不合理以外の何ものでもない」と断定しているように、決戦においては持てる戦力のすべてが集中されなければならないため、決戦のあとで使用するような戦略的予備軍を温存しておくことは意味がないとしている。

 そもそも戦力の集中と予備軍の必要性は相反する概念である。しかし、すべてがかけられた決戦では戦力の集中が優先されるとクラゼヴィッツは示唆している。

勝利のための戦略的要素(5)

戦力の経済

クラウゼヴィッツは戦力は常に目的に合致した分だけ運用し、できるだけ決戦以外で使用する戦力はできるだけ節約すべきだとした。


○不経済な戦力の使用

 無駄なことはしないという単純なことも、戦略における重要な原則である。クラウゼヴィッツのいう無駄とは、たとえば、敵が緩慢な行動をとっている時に戦力を行使しない、あるいは敵が攻撃している時に自軍の一部がまだ行進中であるような不経済な戦力(遊兵)の使用のことである。つまり、戦力を有効に活用し、常に目的に合致した戦力を使用することが必要なのである。

 実際、戦いにおける勝利か敗北かは、決戦場における戦力の相対的な優勢を獲得できるかどうかにかかっている。このような場合に遊兵を出すことは、戦力の優勢の獲得をめざしてお互いに競争している中では決定的な不利をもたらすことになるであろう。


○戦力の節約

 戦力を経済的に使用するためには決戦以外で使用する戦力をできるだけ節約しなければならないとクラウゼヴィッツは述べている。確かに戦力の分散は効率がわるいだけでなく、戦力を集中するという原則にも反している。つまり、戦力の経済性と戦力の集中とは表裏一体といえる。

 しかし、このような戦力の節約は実際に実行することはなかなか難しい。多くの場合、指揮官はどこもかしこも確実に制したい誘惑にかられ戦力を分散しがちになるからである。たとえば、第一次世界大戦前、ドイツのシュリーフェン参謀総長はフランス軍を早期に撃破するためにドイツ軍の右翼を徹底的に強化する計画を立てた。しかし、後任者のモルトケ※は東部戦線のロシアにも、あるいはフランス軍によるアルザス・ロレーヌの突破にも不安を感じてそれぞれに戦力を分散してしまい、とり戻すことのできない敗因をつくってしまったのである。

※ドイツ帝国の軍人。同名の大モルトケの甥。第一次世界大戦を事実上開始した。


Copyright © 2012 Clausewitz-jp.com All Rights Reserved.