1.『クラウゼヴィッツ「戦争論」を読む』--第2章 戦争理論の構築
解 説
1.『クラウゼヴィッツ「戦争論」を読む』川村康之著
第2章 戦争理論の構築
『戦争論』の第2編は、「戦争の理論について」である。戦争という複雑な対象を理論的に分析するためには、必然的にその対象を区分し、体系化することが必要になるが、『戦争論』に述べられている区分と体系化や理論が果たすべき役割などは、現代でも意義のある重要な命題である。
○ 戦争のための活動とその区分
○ 戦争の理論が直面する困難性
○ 戦争理論のめざすもの
○ 歴史に学ぶことの意味
『戦争論』の第2編
戦争の理論について
『戦争論』の第2編では戦争の理論化に関する事柄や、戦争理論の可能性と限界について述べられている。
○戦争理論を確立するために
『戦争論』第1編に対応する第1章では、クラウゼヴィッツが『戦争論』でもっとも伝えたかった戦争の定義や主要な命題を見てきた。この章では、『戦争論』第2編「戦争の理論について」を取りあげてみよう。
戦争のような複雑な対象を理論的に分析するためには、必然的にその対象を区分し、体系化することが必要になる。クラウゼヴィッツは『戦争論』の第2編において、戦争理論を確立するために必要な戦争に関するさまざまな現象の区分と体系化、ならびに戦争理論が果たすべき役割ついて述べている。また、彼はこの編で戦争の理論化の可能性と限界にも言及している。
戦争理論を構築するうえで、人間の精神的な要素を考慮することは大変な困難をともなう。実際、戦争の理論化を試みた多くの人々は、戦争における人間の心理や判断は無秩序でとりとめがないため、科学的分析の対象と見なさなかった。しかし、クラウゼヴィッツは戦争の分析の中心に人間の精神的な要素を置くという画期的なことを行った。
○理論だけでなく経験も大切
戦争理論書としては抽象的・哲学的な説明の多い『戦争論』だが、その中でクラウゼヴィッツは理論が万能ではないことをはっきりと述べている。彼は序文で「研究と観察、理論と経験は相互に決して軽蔑し合ってはならず、ましてや相互に排除し合ってはならない。研究と観察、理論と経験は相互に相手を保証しあう関係にある」と強調し、理論が現実から大きく隔たることに警鐘を鳴らしている。
クラウゼヴィッツは理論的な分析と歴史上の事実(経験)による証明が、戦争を理解するための重要な手段であると考えた。
戦争のための活動とその区分?
戦闘力の使用と戦闘力の創造
クラウゼヴィッツは戦争のための活動を二つに区分し、戦争にはそれぞれ狭義と広義の戦争術があるとした。
○戦争のための活動の区分
クラウゼヴィッツは戦争の中心にある概念は闘争であると述べている。古代からさまざまなかたちで戦争が行われてきたが、戦争の外見がどのように変化しても戦争の中心にある闘争という概念自体は変わっていない。
しかし、戦争には闘争以外の要素も含まれている。たとえば、クラウゼヴィッツが「武器や装備の製造や習熟のための活動は、明らかに闘争自体とは別個の活動である」と説明しているように、武器や装備を製造することや兵士の訓練などは、闘争とは別の活動である。これらは闘争のための準備にすぎず、闘争の遂行そのものではない。このように、クラウゼヴィッツは戦争を闘争と闘争以外の活動に分け、それにともなって戦争術(Art of War:戦争を遂行するための方法や手段)にも狭義と広義の戦争術があるとした。
○狭義の戦争術と広義の戦争術
狭義の戦争術とは、戦闘の準備ができた軍隊を戦場で使用する方法・手段である。これに対して広義の戦争術は、狭義の戦争術と「戦闘力の創造」、つまり国家の資源の配分にかかわる高度な政策的判断、武器や装備の研究・開発、兵員の徴募、教育・訓練といった戦争を準備するためのあらゆる活動※を含んでいる。現代ではこれも戦略の重要な分野であると認識されている。
クラウゼヴィッツは戦闘力の創造の分野を理論の対象から除外することによって、戦闘力の使用の分野、すなわち本来の戦略や戦術に限定した理論化を行った。というのも、戦争の準備までを含めた理論は経済、産業、科学・技術、教育などの幅広い分野が対象になり複雑になりすぎるからである。
また、彼は上記のように戦争を二種類の活動・戦争術に区分することは体系立てた戦争理論を構築する上で非常に重要であると見なした。
※現在では「防衛力整備」と呼ばれる分野で、主として平時における活動である。
戦争のための活動とその区分?
戦略と戦術の区分
戦闘力の使用に関する分野は戦略と戦術に区分される。クラウゼヴィッツは近代においてはじめて戦略と戦術を明確に区分した。
○戦闘力の使用に関する分野の区分
前項で見てきたクラウゼヴィッツの二つの区分は戦争の理論化のための第一段階であった。彼は第二段階として、戦闘力の使用に関する分野を次のように理論的に区分した。
戦争という長期間にわたる複雑な活動は、闘争、すなわち個々の戦闘という概念に還元される。しかし、戦争はただ一回の戦闘で終結するものではなく、地域的・空間的・時間的に異なる多数の戦闘によって構成される。したがって戦闘力の使用に関する分野は、(個々の)戦闘を実行する活動と、個々の戦闘を政治的目的に結び付ける活動に分けられる。
○戦略と戦術の定義
そして、クラウゼヴィッツは上記の区分を戦略と戦術に結び付け、それぞれ定義したのである。クラウゼヴィッツは「戦術とは戦闘における戦闘力の使用に関する規範であり、戦略とは戦争の目的を達成するための戦闘の使用に関する規範である」と述べている。簡単にいえば、戦術とは戦闘に勝つための方法であり、戦略とは戦争に勝利、すなわち政治的目的を達成するために一連の戦闘を運用する方法である。
このように、前項より述べてきたクラウゼヴィッツが行った戦争に関する区分は、体系立てられた戦争理論を確立するためには必須だったといえる。また、クラウゼヴィッツは筋道を立てて戦略と戦術の区分を説明することで、それまで漠然としていた戦略と戦術の概念を明確にした。
実際には、戦略や戦術は相互に重なっている部分もあり混同されがちである。しかし、クラウゼヴィッツの理論的な考察は、現在においても人々が戦略や戦術を考える時に基本的な方向性を与えている。
戦争の理論が直面する困難性?
戦争理論が直面する困難
クラウゼヴィッツは、戦争の理論化を困難にさせる人間の精神や判断が関わる三つの特性をあげている。
○戦争を理論化する問題点
前項までは戦争の理論化に必要な戦争の区分について見てきた。クラウゼヴィッツは引き続き『戦争論』第2編「戦争の理論について」で、戦争理論の困難性について述べている。彼はまず、これまでの理論家が戦争をいくつかの法則に集約しようと試みたことを、現実を無視した過度の単純化であると批判している。
そして、クラウゼヴィッツは、戦争という複雑な現象においては、唯一や絶対の法則などはないと断言している。また、それゆえに戦争の理論化は難しいが、もっとも理論化を困難にしていることは、戦争には人間の精神や判断が大きく関わっていることであるとしている。そして、戦争の理論化を妨げる人間の精神や判断に関わる三つの特性を明らかにしている。
○理論化を妨げる三つの特性
第一の特性は、戦争における精神的な力とその作用である。たとえば、敵対感情や勇気などがあげられる。
第二の特性は、お互いに相手の裏をかこうとするなど、敵と味方の間にさまざまな相互作用が生ずることである。戦場ではお互いに思いがけない行動をとって相手の意表を突こうとする。戦場での予期しない出来事への対応は、指揮官の才能と判断に委ねられることになる。
第三の特性は、すべての情報が不確実なことである。戦争での情報はすべて不確実であり、個人の才能によって推測するか、幸運に委ねざるをえない。
このように、戦争では人間の精神や判断が大きな影響を及ぼす。このため、戦争を理論化するのは大変な困難をともなうのである。(第2編第2章)
戦争理論が直面する困難?
戦争理論に特効薬はない
すぐに解決策を与えるような万能の効用をもった理論の構築は不可能だが、理論化の困難さを乗り切るための方策はある。
○積極的な学説は不可能
前項で述べたように、戦争には人間の精神や判断が大きく関わっている。また、戦争という一定の法則やルールに集約できない政治的・社会的に複雑な現象に直面すると、人間の才能や精神はあらゆる法則を無視して自由に活動する。このため、クラウゼヴィッツは戦争に関する「積極的な学説は不可能である」と述べている。つまり、一定の法則がなく人間の才能や精神が大きく自由に活動する戦争において、すぐに解決策を与えてくれるような万能の効用をもった理論の構築は不可能だというのである。
○理論化を可能にする方策
このように戦争の理論化には積極的な学説は不可能であるが、理論化の困難さを乗り切るための方策が二つあるとクラウゼヴィッツは述べている。
第一は、地位に応じた困難さを知ることである。人間の精神に関わることを理論化することは困難である。しかし、下級の地位では、知性や判断力など精神的要素が関わる程度は少ないので理論化の困難さは少ない。したがって、戦術レベルではある程度の理論化が可能といえる。ところが、地位が上級になるにつれて、すなわち戦略レベルになるにつれて、さまざまな判断や行動は個人の才能に委ねられるのである。このように地位に応じた困難さを知ることで、戦争の理論化が容易になる。
第二は、理論は才能とともに使われてはじめてその効果を発揮するのであり、けっして理論だけでは万能の特効薬とはならないと認識することである。この認識をもとにすれば、戦争の理論化は可能である。
クラウゼヴィッツは、このような観点からのみ「理論の確立が可能になり、実践との矛盾は消滅する」としている。
戦争理論のめざすもの?
戦争理論の役割
戦争理論がめざす役割とは戦争を学ぼうとする人々の精神を養成したり、自学研鑽を援助したりすることにある。
○戦争理論の目指す役割
前項までは戦争理論を組み立てるうえで直面する困難さについて述べてきた。それでは、戦争理論が目指す役割とは一体何だろうか。クラウゼヴィッツは次の五つをあげている。?戦争を構成するさまざまな対象を区分する、?戦略と戦術など一目見ただけでは融合しているように見える対象をより鋭く区別する、?戦争における手段(戦闘)の特性を明らかにする、?その手段(戦闘)がもたらす効果を示す、?戦争における目的の本質を明確に規定することである。
クラウゼヴィッツは、戦争理論がこれらの役割を果たすことによって、その重要な任務はほぼ達成されると述べている。そして、戦争理論は「書物によって戦争を学ぼうとする人々のよき案内者となるであろう。そして、戦争を学ぼうとする人々のために至る所で道に光を照らし、彼らの歩みを容易にし、判断力を養い、迷路に陥ることを防止する」のである。つまり、戦争理論はそれを読む人々の精神を養成したり自学研鑚を援助したりするものであり、戦場において彼らを具体的に導くべきものではないことをクラウゼヴィッツは示唆している。
○知識は能力とならなければならない
また、クラウゼヴィッツは戦争の理論を知っていること(知識)と実行できること(能力)とはまったく別ものであるとしている。実際、刻々と状況が変化する戦争においては、どのような事態に直面しても適切な判断が下せるような能力が求められる。そのためには、戦争理論を通じてみずから戦争を考察し、さらにそれを実践することによって知識と能力を一体化させなければならないというのである。
戦争理論のめざすもの?
マニュアル主義の排除
クラウゼヴィッツの戦争理論はマニュアル主義を排除する。とくに軍事組織の最高の地位においては方法や形式が適用されることはない。
○方法主義とは
軍事行動において行動の方法や形式を定めることは広く行われている。これは「方法主義(マニュアル主義)」と呼ばれる。方法主義とは、マニュアルを定めて訓練することによって、ある一定の行動が機械的に実行できるようにすることである。クラウゼヴィッツは方法主義の利点を認めながらも、戦争理論においてはこれを排除しなければならないとした。(第2編、第4章)
軍事組織はピラミッド型なので組織の下部になるほど指揮官の数が増加する。指揮官には個人差があり、すべての指揮官に個々の事象に対する正しい洞察や判断を期待できなくなるので、下級指揮官に対しては限定された方法主義をとらざるをえない。実際、小規模な部隊の軍事行動はマニュアルによって画一的に訓練される。その結果、戦争における摩擦を減少させることができ、軍隊を容易に行動させることができるようになる。
○方法主義を排除する理由
方法主義の問題点は、個人の自由な判断を拘束すること、つまりみずからの頭脳で考えることを放棄させることである。クラウゼヴィッツは戦争理論における方法主義は部隊行動や武器の使用など一般的なことに関する限り適用されるとした。これに対して、一つとして同じ状況にはない実際の戦争計画が方法主義によって機械的に作成されることがあれば、このような方法主義は絶対に排除されなければならないと主張している。なぜなら、方法や形式はすぐに時代や状況の変化に対応できなくなるからである※。したがって、とくに複雑な要素が入り組んだ戦略レベルに関しては方法主義を戦争理論に盛り込むことを避けなればならないのである。
※クラウゼヴィッツは、プロイセン軍がフリードリヒ大王以来の戦術に自信を持ち、気付かないうちに方法主義に陥ったことがイエナの敗北を招いたとしている。
歴史をもとに研究
社会科学としての戦争理論
『戦争論』は経験科学の一分野である社会科学として、歴史(戦史)を研究の基礎に置いて理論を組み立てた。
○戦史が最良の証明手段
この項では、クラウゼヴィッツが戦争理論を組み立てるにあたって歴史を重視したことを見てみよう。
経験科学※の一分野である社会科学では、反復操作による実験という自然科学の手法が適用できない。研究の対象は「もの」ではなく「ひと」、すなわち人間が関与する文化現象や社会現象である。歴史という人間の行為の積み重ねを観察する以外に対象に接近することができないのである。クラウゼヴィッツはこの点を十分に理解し、歴史をみずからの研究の基礎に置いた。彼は、戦争の理論の大部分が机上の考察によって導き出されるとしても、戦争の本質は経験(歴史の研究)を通じてはじめて認識されるというのである。
○戦争理論の効用と限界
クラウゼヴィッツは、歴史を研究の基礎において理論を組み立てる現代の社会科学と同じ方法をとった。政治学や経済学、経営学などの社会科学の学問には、理論は結果を保証するものではないという共通の性格がある。しかし、そうだからといって理論が不用であるということにはならない。
クラウゼヴィッツの戦争理論も同じような性格を持っており、読者にみずから問題解決の方法を考えるきっかけを与えたり、複雑な状況における判断力を強化したり、判断を洗練されたものにすることにとどまり、それ以上の具体的な効用をもたないのである。また、クラウゼヴィッツは、歴史を基礎とする社会科学には陥りがちな過ちである「歴史の濫用」、つまり歴史的事例をみずからの理論に都合よく利用することをいましめている。
クラウゼヴィッツのとった方法論や理論の役割などの認識は、たとえば現代の戦略問題の研究にも適用されている非常に進歩したものである。
※経験される事実一般を対象に実証的な方法で研究する学問の総称。
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