3.『日本の軍事制度と軍事思想に対するクラウゼヴィッツの影響』 その2
I 明治維新から日露戦争まで
1 ドイツ兵学との出会い
新たに成立した明治維新政府は、近代国家にふさわしい軍隊を組織することを決意した。陸軍は、フランス式で建設されることになっていたが、1880年代に入ると、日本は朝鮮半島に起こった事件をめぐって清国との関係悪化に備えるとともに、軍事組織の抜本的な改革を行った。この機会に、日本の陸軍はドイツの制度に切り替え、その後第二次世界大戦までこれが維持された。切り替えのきっかけとなったのは、1870/71年の普仏戦争におけるフランスに対するドイツの見事な勝利であるが、より大きく影響したのは、ドイツの軍事制度がわが国にもっとも適しているという見解であった。
明治陸軍の軍政に大きな貢献をした桂太郎(後に大将、内閣総理大臣)は、普仏戦争終結直前とその後の数年間にわたってドイツに学び、とくにロレンツォ・フォン・シュタインの「軍事行政論」に強い影響を受けた。また、軍令上の代表者である川上操六(後の大将、参謀総長)も前後二回の留学によりドイツ参謀本部で実際の勤務を体験し、この間大モルトケの指導を受けた。
1883年の陸軍大学校の開校も、大モルトケの幕僚養成の方法に学んだものである。陸軍大学校は、開校三年目の1885年に大モルトケの推挙するメッケル参謀少佐を教官に招き、約三年間その教育を受けた。この教育を受けた学生の数は60名あまりに達し、彼等の多くは、後に日清(1894?1895)および日露(1904?1905)の両戦争において中央統帥部および野戦軍の枢要な地位にあって活躍した。メッケル少佐の帰国後も、数名のドイツ人教官が相次いで来日し、それは1895年まで継続された。
日本陸軍は、ドイツ第二帝政期の初期におけるドイツの軍事思想を通じて、クラウゼヴィッツの思想を主として間接的に学んだ。彼らは、師団レベルの基礎的な戦術と応用戦術に関する教育を受けた。その教育の特色は、クラウゼヴィッツが重視した理論と実際の統一にあった。この教育の成果は非常に大きかったので、このような教育法は陸軍大学の誇るべき伝統として、第二次世界大戦までそのまま継承された。
参謀本部は、フォン・シェレンドルフ、ヴェルディ・ド・ヴェルノア、フォン・ブルーメなどのドイツ人将校による多数の著書を翻訳している。たとえば、ブロンザルト・フォン・シェレンドルフの『ドイツ参謀要務』("Der Dienst des Generalstabes", 1875)は1881年に翻訳・出版され、カール・ヴィルヘルム・フォン・ブルーメの『戦略論』("Strategie, eine Studie", 1882)は、1891年に翻訳・出版されている。これらの書籍は、新しく建設された日本陸軍にとって、参謀本部における参謀の業務をどのように遂行するのか、あるいは野戦における大部隊をどのように指揮するのか知るために不可欠であった。
2 クラウゼヴィッツと日露戦争
これまでにみた通り、陸軍は、クラウゼヴィッツの思想を、大モルトケ時代のドイツ陸軍を経由して間接的に学んだのであるが、彼の著書から直接学ぶ努力がまったくなかったわけではない。そして、その開始時期は意外と思えるほど早い。
1899年、森鴎外(後の軍医中将、著名な作家)は、早川大尉(後の中将、日露戦争時の参謀副長)に対して、『戦争論』の一部に関する週二回の講義をベルリンで行っている。そして『戦争論』の全巻が完訳され、軍部内に刊行されたのは1903年であり、まさに日露戦争勃発の前年のことであった。この訳本の第一、二篇はドイツ原本から森の手により、またその他の篇はフランスの訳本により陸軍士官学校が担当して重訳し、これらを『大戦学理』と題して一巻にまとめた。この書は、その後版を重ね、1934年まで続いた。
日露戦争の勝利に関しては、いくつかの重要な要因が挙げられている。その第一は、当時戦争指導に携わった人々が、よく戦争の性格、本質を正しく捉えて政治と軍事の調整に見事に成功したことであり、第二は、満州の主作戦において作戦指導を担当した人々が、敵野戦軍の撃滅を意図して決勝会戦を敢行し、大戦果をもたらしたことである。
この中で、第一の戦争全般の指導は、日本の伝統的な兵学と明治維新の経験により多くを依存する。第二の戦場における作戦については、クラウゼヴィッツおよびドイツの理論に負うところがきわめて多い。
日露戦争における日本陸軍とクラウゼヴィッツとの関係に触れた挿話の数は少なくない。その中で、次のような言葉だけを紹介しよう。
ドイツのデュムラー出版は、日露戦争中の遼陽の会戦(1904年8月25日?9月3日)における右翼の突進を成功させた第一軍の黒木大将に対して、出版されたばかりの『戦争論』第5版を贈呈した。その礼状の中で、黒木大将は、「この書はすでに日本語に訳されており、広く読まれている。そして、今戦役においても大きな貢献を果たした。というのは、われわれ将校は、その専門知識をすべてドイツから学んだからである」と述べている。
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