3.『日本の軍事制度と軍事思想に対するクラウゼヴィッツの影響』 その1

 本稿は2007年8月にドイツクラウゼヴィッツ学会にてドイツ語で発表した内容を日本語にしたものです。


はじめに

クラウゼヴィッツの思想は、1867年に始まった明治維新による日本の国家建設以来、軍事のあらゆる分野にさまざまな影響を与えている。しかし、日本の軍人は、『戦争論』にもっとも明確に述べられている戦争の本質について学ぶことよりも、ドイツを手本として軍事行動を計画し、実行する方法を学ぶことに熱心であった。

第一次世界大戦以前のドイツと第二次世界大戦以前の日本には、軍事制度や思想において多くの類似点が見られる。中でも、ドイツと日本の軍事制度は、軍令と軍政が分離されている二元主義にその特色があった。このような二元主義の制度は、統帥権の独立と呼ばれ、反クラウゼヴィッツ的な傾向を示している。日本の場合、統帥権の独立は、軍隊が政治に関与するための手段となり、最終的には第二次世界大戦における敗北をもたらした。

 第二次世界大戦後、日本は完全に非武装化され、戦争放棄と非武装を内容とする憲法を制定した。戦後の初期には、戦争研究は排斥され、軍事問題は国民の関心の外に置かれた。

 しかし、1970年代になると、クラウゼヴィッツの『戦争論』は、国際政治の研究者たちによって正当な研究として取り上げられ、研究成果が定期的に出版されるようになった。注目すべき傾向としては、自衛隊で防衛に関心を持つ関係者による古典の研究が見られるようになった。彼らは、軍事史や軍事思想史の研究を進め、その研究成果はクラウゼヴィッツの思想に沿ったものであった。その理由は、まさに、核抑止下においても、多数の通常戦争が生起したからである。

 冷戦後、世界の安全保障環境は急激に変化している。特に、不安定・不確実な世界において、国連の平和維持活動や災害救援活動などを促進するような新しい防衛政策が生み出されている。新しい国防政策が決定されるときに、クラウゼヴィッツに関する議論が行われることはなかったとしても、このような傾向はクラウゼヴィッツの思想がまだ有効であることを示している。

 本稿では、第二次世界大戦以前において、クラウゼヴィッツの思想が日本の軍事思想や軍事制度にどのような影響を与えたか、また第二次世界大戦後の日本において、クラウゼヴィッツの思想の研究がどのように評価されているかを考察する。

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